4月15日に、アニメ『ドラえもん』がリニューアルされて、スタッフ・キャストが一新されてから20周年を迎えた。
この20年間、いや正確に言うとリニューアルされることが発表されてから20年と約半年の間、アニメ『ドラえもん』を巡っては色々なことがあった。本稿では、それらについて、思いつくままに触れてゆきたい。
まず、アニメ『ドラえもん』のリニューアルが明らかになったのは、2004年の11月下旬だった。
第一報ではメインの声優5人が交代することがわかり、その後監督や脚本などのスタッフも交代することが明らかになるという流れだった。その当時の感想は、こちらに書いている。そう、もうこのブログがすでに生まれた後の話だったのだ。そう考えると、このブログもよく続いているなあ。
それはともかく、第一報を聞いたときは「来るべき時が来た」と思ったものだ。放送開始から25年以上が経ち、声優の皆さんがご高齢になっていたので、そろそろ限界が近いのではと考えていたのだ。
ただ、声優の皆さんの高齢化問題があったのはたしかだが、個人的にはそれ以上に大山ドラ末期のアニメオリジナル路線には限界を感じていた。端的に言って、話が面白くなかったのだ。現在、大山ドラ末期のエピソードを観る手段がほとんどないので伝わりづらいかもしれないが、話を無難にしたらどんどんつまらなくなっていった感じで、本当に観ていてつらかった。
何とかするにはいったん番組自体をリセットするしかなかったというのは、よくわかるのだ。だから、声優交代以上にスタッフ交代が重要なことだと思っていた。
そして、迎えた2005年4月15日。わさドラの最初の放送の日だ。
実は、私のサイト「ドラちゃんのおへや」は、これに合わせて前日の4月14日にサイトの引っ越し・リニューアルを行っていた。だから、現在でも読める掲示板には、開始当時のわさドラへの感想が読めるようになっている。
それをお読み頂ければわかると思うが、わさドラは賛否両論だった。ただ、私のサイトはまだおとなしい方で、当時存在していたドラえもん・藤子不二雄ファンサイトの中には、賛否の対立が激しくて掲示板が炎上してしまったところもあった。残念ながら、それらのサイトはほとんどが現存しないので、今から参照することはできないが。個人的印象では、賛否の「否」側についた人たちが特に辛辣な意見を述べていたように記憶している。
とにかく、最初の数年間はまだまだ賛否両論が続いていた。
わさドラが番組として安定していったのは、開始から5年以上経ってからではないだろうか。最初は原作忠実路線で始まったものの、それからはサブタイトルに煽り文句を付けたり、なぜかもったいぶって「ドラミ復活プロジェクト」を立ち上げてみたり、短い原作を無理矢理30分1本でやってみたりと、番組としても最初はけっこう迷走していた。やがて、「夢をかなえてドラえもん」が主題歌として定着して皆になじんていったあたりから、落ち着いていった気がする。
この20年の間には、放送時間の移動という一大転機があり、楠葉宏三総監督と善聡一郎監督という布陣で始まったスタッフもかなりが入れ替わった(現在の監督は小倉宏文氏)。声優も、メインの5人はもちろん不変ではあるが、初期と比べると演技はかなり変わったように感じる。20年を経て、落ち着くところに落ち着いたのだろうか。
長寿番組がリニューアルに失敗して、リニューアル後は短命で終了を迎えると言うことは今までにもあったので、『ドラえもん』もそれを心配していたのだが、20年続いたのだから杞憂だったようだ。
今後、いつまで今の布陣で番組が続くのかはわからないが、『ドラえもん』という漫画の魅力を多くの人に伝えるために、テレビも映画もアニメが続いていってくれればと思う。